『ハイキング誌」とサイクリングの歴史その2

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戦前の『ハイキング誌」とサイクリングの歴史 その2

<閑話休題-当時のスポーツ自転車の値段について->

 
ここで、当時のサイクリング車の値段を調べてみましょう。こちらも『NCTCの歴史』誌からの参照となります。


NCTCの歴史より

・写真左 :日米富士フェザー号 85円(ダブルコグ、重さ15kg、昭和10年発売)
・写真中央:宮田スポーツ 75円(シングルスピード、昭和11年発売)
・写真右 :中豊ホープ号 97円(中村豊五郎商会。昭和14年発売)
※ラレー シルバーレコード 400円
※BSA タンデム(トリベロックス3段)350円。
※いずれも中豊がサンプル輸入した英国スポーツ車。
 
部品としては、スターメーアーチャーの内装3段(ハブギア)21円前後、ブルックスの17が5円程度だったそうです。当時の国立大学卒の初任給が55円前後でしたので、国産で約1.5ヶ月、輸入車で6ヶ月分程の価格です。

<『ハイキング』に掲載されたサイクリング記事-抜粋->

 
全119冊の内、自分の手元にあるのは残念ながら35冊だけです。
この中でサイクリング記事が掲載されていた号を抜粋致します。
よって全部の号を網羅しておりません事をご了承下さい。
※執筆者の後ろの(漢数字)は頁、茶色い文章は引用です。旧字体は新字体に直している場合があります。
 


(参考)先の『NCTCの歴史』誌ではサイクリング関係で主な投稿者を次の通り纏めております。
・伊藤黄  :25号~ 41号までの間7稿
・和田文平 :33号~ 53号までの間4稿
・菅沼達太郎:37号~ 120号までの間44稿
・福島清岳 :40号~ 116号までの間16稿
・大浦正輝 :67号~   88号までの間5稿
・長谷川末夫:82号~ 102号までの間8稿
・天野金吾 :83号~ 98号までの間4稿
・前田安雄 :88号~110号までの間10稿 

■第50号(昭和11年8月 /特集:八ヶ嶽火山群と蓼科山火山群)
ハイキング第50号表紙
  
 
●特別論講「サイクリング」(完)・・・福島清岳 (七〇) 4頁
何号から開始されたのか不明ですが、今号で連載は終了です。
テーマは<荷台>、<スタンド>、<服装>、<雨具>、<食料>の各項目について。文中に「伊藤黄氏の十銭玉的サイクリングをなさる時は・・・」という文言が二回出てきて、どのようなサイクリングなのか気になるところです。
また最後に<サイクリングの特異性>として、時間的制限が無い点を挙げたのち、次のように述べています。
「ハイキングだけでは、目的地の山野に接することは可能ですが、目的地に到達する間の、街道にも、村落にも樹木にも、親しく接触することは一日では不可能です。恐らくハイキングの先駆者として著名な方としても、青梅、五日市、大山、中山道等の諸街道の持つ情緒を鑑賞しつつ、山肌に接しられた人は少ないと思います。」
目的地だけではなく、その過程も楽しめる点がサイクリングの醍醐味ですね。

■第59号(昭和12年5月)待望のサイクリング特集号です!

 
ハイキング第59号表紙
  

 
●「サイクリング随想」・・・福島清岳 (二四)2頁
「サイクリストはほんとに自由だと思ふ。愛車をとゞめて山によじればハイカーともなれよう、汽車の旅のもつわづらわしさは何一つない。その旅で味えない丘の美しさに、小川のせゞらぎに、村落に、訪れられる。」
 
 
●「新興スポーツ サイクリング」・・・菅沼達太郎 (二六)2頁

 
これは文章より実際にご覧頂いた方が一目瞭然です。英国のサイクリング向けスポーツ車を紹介しています。写真左下がBSA、右上がSUN、右下はロイヤル·エンフィールド、二枚目はゼームスのタンデムです。
 
 
●「サイクリング案内(6)陽春サイクルの旅・七案」・・・福島清岳 (三〇)2頁
(1)桃の網島から金沢八景へ
(2)大山街道から茅ヶ崎海岸観光道路へ
(3)春の大山へ
(4)小金井から秋川渓谷へ
(5)高萩街道から吾野渓谷へ
(6)名栗渓谷から奥多摩渓谷へ
(7)大垂見から桂川渓谷へ
※地図は20万図<東京>を参照し、朝5時出発、午後20時帰宅を想定しているそうです(勿論往復自走です!)
 
●サイクリング・ツーアの新服装-春から夏へ・・・菅沼達太郎 (三二)3頁
●サイクリングによる霊地めぐり・・・西村謹一 (三六)2頁
東京都内の神社仏閣巡りのコース案内です。
 
●上高地サイクリング・・・古川鉦平 (三八)2頁
8月11日の10時に東京・神楽坂の自宅を出発し軽井沢-上田-田沢温泉まで。12日に松本、13日に降雨もあり逆巻温泉、14日に上高地、15日に諏訪湖畔から甲府盆地を経て、16日は所持金が少なくなり家からの送金を待つために御坂峠の麓で一泊、17日夜18時頃に大月到着、(明日の仕事に影響が出てしまうので不本意ながら、という理由で)自宅までは汽車で帰還、というルートでした。ちなみに車種は国産ロードレーサーで52☓16Tというギア比です。
 
●道志山塊サイクリング・・・渡邊盆雄 (四〇)4頁
●奥多摩サイクリング・・・鈴木市太郎 (四四)2頁
●湘南サイクリング・・・和泉雅江 (四六)2頁
●三浦半島サイクリング(附、東京近郊のサイクリング・コース)・・・足立野幾太郎 (四八)2頁
山に海へと、今でも都内近郊の定番の地域ですね。コース紹介や紀行文は今も昔も貴重な情報源です。なお最後の三浦半島の記事の末尾には「要塞地帯に入るため、写真、写生、模写の一切を許されぬことは皆様ご承知のことと存じます」と編集部の注釈が入っております。
 
●「輪上の友」・・・菅沼達太郎 (五〇)4頁
 

少年時代の遠乗りの思い出、和田文平氏(文中ではW氏)との出会い、ハンドルを並べたことなど。「W氏がいつも私に語る<サイクリスト・ツーリング・クラブ>」のようなものを作り度いものだと思ってゐる」と語っておりますが、それは嬉しくも実現しました。
 
※サイクリング特集号としてはこれで終わりです。
この号以降も、サイクリングの記事は継続して掲載されていきます。続いて見て行きましょう。