前回の「追憶のサイクルツーリング」では涼を求めて「谷川岳・一ノ倉沢」をお届け致しました。
涼しくなられた?と思いますが、時期はずれということもあり、今回は夏向けのコースを回想してみました。
それでは、どうぞ・・・。
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■年月
2003年8月
■走行ルート
(輪行)JR茅野駅-麦草峠-松原湖前-JR小海駅前-ぶどう峠-志賀坂トンネル-西武秩父駅
■車種
ランドナー
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(プロフィールマップです)
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梅雨の合間の週末、国道上では渋峠(2172m)に続いて標高第2位(2127m)である、信州の麦草峠へ出かけた。
当日の夕方に切符を手配して、山屋さんで賑わう夜の新宿駅のホームへ。乗り込むのは23:54発の夜行ムーンライト信州81号。
寝不足を心配して、車内の消灯が行われるグリーン車を奮発して予約するも、案の定、一睡も出来ずに最悪の体調になってしまう。
茅野駅には3:30過ぎに到着。駅寝と思しき学生さんの集団もおり、夜中とはいえ駅は結構賑わっている。
駅前の商店街のアーケード下で自転車を組立て、ついでに持参したおにぎりを食べて準備も完了。4:30過ぎの夜明けと共に出発だ。
心配していた雨の状況もパラパラと霧雨程度で、まずはひと安心。
合羽を腰に巻いて、着たり脱いだりを繰り返しながら、朝靄の中の国道152号を進む。
朝早いせいか交通量は殆どない。
メルヘン街道と呼ばれる国道299号に分岐し、蓼科中央高原の別荘地を通り抜け、休み休み、じっくりとマイペースで登っていく。
周囲を木々に囲まれて展望は全く望めないが、登るにつれ周囲の樹木が白樺類に変わっており、標高を稼いだことを実感出来る。
降っていた雨もいつしか止み、気温も涼しく快適だ。そんなお天気のせいだろうか、登るにつれて濃霧が頻繁に発生し始める。たまに追い越しの車も通るので、テールランプを点灯させよう。
なおこの街道は昭和41年に主要地方道として開通したそうだ。しかしそのお陰で沿道の自然破壊が進んだとのこと(※1)。街道を利用させて頂く身にとっては、何とも複雑な心境だ。
今思い返しても、ひたすら霧の中を登った記憶があります。あとは白樺の木が印象的でした。
1900、2000、2100・・・。
2127mの峠までは、あと一息。最後のひと頑張りだ。
ようやく峠のヒュッテに到着。時刻は8:30。茅野駅を出発して、ちょうど4時間のヒルクライムだった。いやいや、お疲れさま・・・。
茶臼山と丸山の鞍部にあるため展望は利かないが、ヒュッテの前の広場は笹原の緩斜面で開けており、開放感がある。
車も何台か駐車しており、ハイカーの方が丸山方面に向けて既に歩き始めておられる。
なお本来の旧峠は、国道から少し外れた、標高2200m付近にあるようだ。
峠名の由来は、麦に似た「コメススキ」の草原が広がることに由来するという説があるようです(※2)。
峠の写真を撮り終えた正にその時、パッと陽が差して先刻とは別世界に。
さあ、ここからは念願の下り。合羽を着てちょうと良いくらいの涼しさで非常に快適だ。
「レストハウスふるさと」前にて右手の松原湖方面へ分岐。国道141号に合流してからも、JR小海駅まで順調に下る。
そのJR小海駅前には10時前に到着する。ここからはヒルクライムの第2ラウンド、ぶどう峠を目指す。
川又のY字路では左に分岐して県道124号へ。集落の中を走り、車もそこそこ通る。柏木川に沿ったこの道は、雰囲気は良いのだが、細かいアップダウンが多くてなかなかリズムに乗れない。
そして懸念していた睡魔が、ここで一気に襲ってくる。
バス停のベンチで横になり、しばし目を閉じるも、気分が高揚した状態ですぐに眠れるはずがなく、休んでもいっこうに眠気が取れない。眠いのに眠れない、最悪の状態だ・・・。
ここから先はひたすら睡魔との闘いになりました。はっきり言って、このようなプラニングは失敗です。
今なら絶対にJR小海駅で引き返すでしょうね。体力の問題もありますが・・・、当時は若さ故の過ちということで(^^;
峠道に入ると、ツーリング中のオートバイが何台か通り過ぎたのみだった。誰にも会わない静かな峠道を、木漏れ日を浴びながら自分独りだけでじっくりと登っていくのは、ソロのパスハンティングの醍醐味だ。
しかし天気が良いのは大変有り難いのだが、そのぶん突き刺さるような日差しが体力をジワジワと奪っていく。頭はモーロー、足はズッシリ、漕いでも漕いでも、峠は遥か彼方だ。ようやく「長者の森」付近まで来ると、ここで「ぶどう峠2.6km」の看板がある。うーん、まだ残り3km弱もあるのかぁ・・・。
ところで写真の植林された木々はカラマツだろうか?カラマツは、建築用材として使うためには「アブラ抜き」という面倒な作業があり、狂いも出やすい木とのこと。かといって、この地方では寒さのせいで杉や檜は生育出来ず、山に携わる方々はご苦労されたそうだ(※3)。
小海駅前からペダルを回すこと2時間半、長野県と群馬県の県境、ぶどう峠(武道峠)には12:30に到着する。
あいにく霧のため遠望が悪いのが残念だ。本当はベンチで横になりたかったが、何故かハエが大量に発生しており(^^;、写真だけ撮って早々に退散。
なおこの峠道は昭和44年に開通し、旧峠は現在の峠より少し北に位置しており、そちらの旧道は、大正10年代に砲兵隊が演習の為に改修した道とのことです(※3)。
また峠名の由来を調べると、全国に分布する武道や葡萄等の当て字の「ブドウ」は、「ウツ」「ウトウ」等と同様、空洞状または凹状の地形を表し、峠の頂上あるいはその付近で、切り通しになっている状況を指すとの説もあります(※4)。そして「ぶどう岳」との関係も気になりますね。由来についてご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示頂ければ有り難く存じます。
国道299号合流地点の「坂下」までは、気の遠くなるような長い下り道が続く。単調な下り道のせいか、だんだん視界が狭くなり、意識がすぅーっと遠くなることが何度か発生し、慌ててブレーキをかけて立ち止まる。
以前、日本の銀輪部隊の回顧録を読んだときに「走りながら眠ってしまい、谷に落ちた」という記述があったが、まったく頷ける話で他人事ではない。
途中で沢に下りる小道があり、冷たい水で顔を洗って幾分かは持ち直す。
もはや睡魔のことしか書いていませんね・・・(苦笑)。
「坂下」からも暫くは下り基調の道だ。この辺り群馬県上野村は、あの日航機墜落の場所でもある。合掌。
途中の「道の駅・上野」にて遅い昼食をとり、食後のソフトクリームで体の火照りを抑える。ついでに店員さんにお断りして、店内の冷水機でボトルに水を補充させて頂く。お客さんが疎らだったので、しばらく席で目を瞑る。
30分後、後ろ髪をひかれるようにエアコンの効いた食堂を後にして、いよいよヒルクライムの最終ラウンド、志賀坂峠を目指す。
例の睡魔が頂点に達し、道端に座り込んで瞑目すること数回。相変わらず眠ることが出来ない。それならばと、先ほど補充したペットボトルの冷水を頭から被るが、効果があるのは数分程度。もう眠くて眠くてたまらない。
目は足元を睨みながら、ハンドルを手前にグッと引いて、一心不乱にペダルを回す。お陰で周囲の景色もほとんど目に入らずじまいだ。こうなると殆ど苦行の世界だ(苦笑)。脇を通り過ぎていく自動車が羨ましい。空荷のトラックが来たら、いっそヒッチハイクして荷台に乗せてもらおうかな、などと考えだす始末・・・。
そんなヘナヘナ状態で、何とか志賀坂峠のトンネル(標高800m)に到着する。時刻は16時丁度だ。うーん、長かったぁ・・・。
このトンネルは1960年に開通し、全長は300m程だ。本来の旧峠は更に登って標高886m付近にあるようだが、その入り口を確認する気力もなく、トンネルの写真を撮るのが精一杯だ。
この後、秩父駅まで最後のひと走り。18時過ぎの特急に乗り、車中ではようやく熟睡出来た。
余談だが丁度ツール・ド・フランスが開催中で、明日は確かラルプデュエズの山岳だったような・・・。ああ、彼らの1/10で良いから、その体力を私に分けて欲しいものだ(笑)。
という訳で、後半はグダグダな走りとなってしまいましたが、まぁ、今となっては良い思い出です。
皆さんはご無理をせず、しっかりとしたプラニングで走ってくださいね(^^;
それでは、また次回。。。
(参考文献)
(※1)「信州の峠」(市川健夫著 第一法規出版 1972年)
(※2)峠名の由来は「角川日本地名大辞典 長野県」
(※3)「峠の村へ 山里の履歴書」(飯田辰彦著 NTT出版 1994年)
(※4)「地名の探究」(松尾俊郎著 新人物往来社 1985年)
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