今回の<峠歩きの景色>は2003年の12月、とある平日の朝に訪れたものです。
年末の平日という時期もあり、ハイカーとは全く会わず、ちょっと心細い峠歩きだった記憶があります。
穴路峠とは何か縁があるのかもしれない。
そもそもは以前のニューサイクリング誌(2001年2月号No.442)で、三上昭氏が「光をパッと浴びる峠」と紹介されてから気になっていた。
そしてALPSさんで「旧峠を訪れる山みち入門コース」をご相談した時に、この峠を薦めて下さった。「道はハッキリしているんだけど、何となく道を外れたような気がして少しばかりスリリングだよ(笑)。」
ここまで不思議と条件が揃えば、あとは訪れる時を待つばかりだ。パスハンを同伴しようと思ったが、徒歩のスピードは自転車とはまた違った景色が見えるだろうと思い、今回はゆっくり歩きで味わうことにした。
駅前からバス停「たけのり入口」までは、国道20号を東に進む。この辺りの舗装路歩きは自転車と違って少々もどかしい。バス停を右折して踏切を渡ると眼前に山並みが広がる。道なりに下り、桂川に架かる虹吹橋を渡って丘の上にある小篠の集落へ向かう。
集落の中では道標に従って山道へと入る。貯水池を右手にやり過ごし、濡れた落ち葉を踏みしめながら沢沿いを進む。
(沢沿いの為、小さな石がゴロゴロしている )
所々に道標があり、また木々にテープが結んであるので少しは安心した。けれでも平日の朝早いせいか人っ子一人と出会わず、「熊出没注意」の黄色い看板もあって、少々心細い。そして路面は小さな石がゴロゴロして歩きにくい。歩幅を靴幅まで狭め、足を前に置くように腰でリズムをとりながらゆっくり歩いていく。
駅から歩いて約1時間半、高畑山との分岐点に到着。登山ガイド本では「石仏」と記載してあり、今では台座しか残っていないが、その代わりに小石が積み上げられいる。お賽銭も供えられていた。
山歩きは予想以上に大変だ。思わず手袋を脱いで合掌する。ここまで無事に辿り着けたことを感謝し、これから先も、どうか安全に歩くことが出来ますように・・・。昔の人が何故に神仏を峠道に祀ったのか実感出来る。
分岐を左にとってからは、行く手に大きな岩が増える。その表面は苔むして緑色に染まっている。そして飛び石で沢を渡るところもある。今日は、先に3日間続いた長雨からはまだ何日も経っていない日だ。水量も恐らく普段より多いだろう。
石仏から約40分後、ようやく沢から離れ、九十九折りで山肌に取り付く。しばらくは薄暗い林の中を進むが、やがて目の前がパッと開ける。よし、もう峠は近いぞ。
やっと峠についた!標高は845m、綺麗な切り通しの小さな峠だ。道の端に座り込み、リュックを降ろし靴を脱ぎ捨て、水筒の水を口に含む。これでようやく一息だ。
あらためて周囲を見渡せば、東西に高畑山と倉岳山の尾根道が延びている。正面に見えるのは棚ノ入山だろうか?鳥の囀りも聞こえることなく、かすかな風の音だけが感じられる。この雰囲気をしばし満喫しよう。
穴路峠は別名「アナシ峠」とも呼び、アナジ、アナシとは北西風の方言ということから、冬に峠を越す厳しさから名付けられたとの説がある(※3)。また「穴師(鉱山師)が超えた峠」に由来するとの説も(※5)。集落名をとって「小篠峠」とも呼ばれた(※2)。
昔の無生野の人たちは炭を背負って鳥沢宿まで歩いた(※1)。男たちだけでなく女や老夫婦も炭俵を背負った(※2)。現在よりもっと荒れた道を粗末な装備で越えたのだ。熊などの野生動物の危険もあっただろうに。
第一、峠なんて本当は歩きたくなかったに違いない。平坦な道の方がどれだけ安全なことか。それゆえ無事に越えることが出来た時には心から安堵したことだろう。
開発の波から逃れた代わりに、本来の目的を終えた峠は、そんな感傷を自分に抱かせてくれた。
無生野に向かう道は、先ほどの登り道に比べれば格段に良い。これなら自転車でソロソロと降りられるかなと思ってしまう道だ。けれども沢沿いの道はやはり難儀である。
峠から約1時間後、県道脇の民家が見える。峠越えもようやく無事に終わった。いやいや、お疲れ様・・・。
この後は旧雛鶴峠へ足を向けることにする。その前に雛鶴姫のお墓参りをしよう。県道を渡った反対側に案内版があり、一本の山道が延びている。そこを300メートルほど歩けばひっそりとお墓があるのだ。
墓前で手を合わせた後、再び県道に戻り、雛鶴神社にも立ち寄る。境内には雛鶴姫の石像がある。
再び県道を歩き、旧道へ分岐して、抗門手前の左手から山道に入る。
旧雛鶴隧道(秋山村側)
途中で鉄塔をやり過ごし、15分ほどで峠に到着する。標高は800m、こちらも綺麗に鞍部を残している。
旧雛鶴峠。別名大ダミ峠とも呼ぶ(※1)。天神峠の別名もあり、先の穴路峠など、道志山塊の二十余りの峠は、どれもそのように呼ばれたそうだ。いずれもかつては峠に天神社があったという話である。ここで言う天神とは塞の神のことではないかと推察されている(※4)。
これにて本日の峠巡りは全て終了。疲れはしたが、充実した峠歩きだった。
やはり昔ながらの峠は良いものだ。これからも峠歩きを続けていこう。
峠歩きの景色は、まだ幾つか記録が残っております。
順次公開して参りますので、どうぞお楽しみに。
(参考文献)
(※1)「甲斐の山山」(小林経雄著 新ハイキング社 1992年)
(※2)「尾崎喜八詩文集5 雲と草原」(尾崎喜八著 創文社 1958年)
(※3)「山梨百名山」(山梨日日新聞社 1998年)
(※4)「峠の神」(岩科小一郎)(「こころの旅1 峠」岡部牧夫編 大和書房 1968年)
(※5)「山名の不思議」(谷有二著 平凡社ライブラリー 2003年)